2008年11月25日

石碑はなかった

藤平陶芸さんの敷地内にある登り窯
(現洛東中学校が建て替えられて小中一貫校ができるが、
その学校で保存されることが決まっている)と
竹村町のエノキの記事を先に書いたが、
あの日はそもそも、洛東中学校の入り口付近にあった
「此附近平氏六波羅第 六波羅探題府」と書かれた
石碑がどうなっているのかを
たまたま見に行ける機会があって出かけたのであった。

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ところが、校門からすぐのところに建っていた
あの石碑はすでに取り除かれていた。
どこかで保存され、また建てられるのだろうか。
新しい小中一貫校ができた暁に
この石碑が敷地のどこかに戻されるのかは不明だが、
ぜひ、平家の邸宅がこの近くに甍を並べていたという証として
あの石碑をも戻してほしいと思う。

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洛東中学校のグランドはフェンスやシートで覆われ、
工事が進んでいるのかどうか、
中がよく見えないのでわからない。
シートの隙間から少し中を窺い知ることができたが、
グランドにはショベルカーが一台、
ひっそりと止まっているだけで
工事はまだほとんど進んない様子だった。
ただ、グランドの南側の整地が進んでいた。
こちらの方はショベルカー二台が止まり
地面が掘り返されていた。
もともと何の建物があったのか記憶にないが、
新しい学校の敷地は、現在よりも南の方へ
もう少し拡張されるようである。

posted by ひがせい at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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