昨日の朝、開館後すぐの時間帯に、
受付を訪ねて来られた3人組の方々がありました。
(後で、山形から来られたと聞きました)
センターの受付カウンターの方から、
「六波羅探題がなんとか‥‥、」という声が聞こえてきました。
まさか! とは思いましたが、お話をうかがってみると、
六波羅探題の石碑はどこにありますか、
ということで訪ねて来られたのがわかりました。
女性の方は、ホームページをプリントアウトしたものを手に持って、
もう一人の男性の方は、大きなカメラを持っておられました。
見せていただいたそのホームページには、
見覚えのある石碑の写真が載っていました。
それはまぎれもなく、洛東中学校の敷地にあった
「此附近 平氏六波羅第 六波羅探題府」と彫られた石碑でした。
何という偶然か、私も今日こそは六波羅探題の石碑の写真を
撮りに行こうと思っていたところだったのです。
(1日の日に、その石碑が開晴館の敷地の
南西のはしっこに立っているのをたまたま発見していたのです)
なぜ、センターの受付に来られたのかは謎ですが、
地図を書いてほしいということだったので地図を書き、
その地図を見ながら、一行は階段を降り、
西側の地下の扉から出て行かれました。
開校間近な、京都東山開晴館。
東山区北部の小・中学校が統合され一緒になった小中一貫校。
その建て替え前の洛東中学校の敷地に、その石碑はありました。
工事中は見かけなくなりましたが、その間はどこかに保管されていて、
小中一貫校が完成したので、ちゃんとその敷地に戻されたのでした。
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2011年04月05日
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