2011年04月05日

開晴館に石碑が戻されました

昨日の朝、開館後すぐの時間帯に、
受付を訪ねて来られた3人組の方々がありました。
(後で、山形から来られたと聞きました)
センターの受付カウンターの方から、
「六波羅探題がなんとか‥‥、」という声が聞こえてきました。

まさか! とは思いましたが、お話をうかがってみると、
六波羅探題の石碑はどこにありますか、
ということで訪ねて来られたのがわかりました。
女性の方は、ホームページをプリントアウトしたものを手に持って、
もう一人の男性の方は、大きなカメラを持っておられました。
見せていただいたそのホームページには、
見覚えのある石碑の写真が載っていました。
それはまぎれもなく、洛東中学校の敷地にあった
「此附近 平氏六波羅第 六波羅探題府」と彫られた石碑でした。

1104051.jpg 1104052.jpg

何という偶然か、私も今日こそは六波羅探題の石碑の写真を
撮りに行こうと思っていたところだったのです。
(1日の日に、その石碑が開晴館の敷地の
南西のはしっこに立っているのをたまたま発見していたのです)
なぜ、センターの受付に来られたのかは謎ですが、
地図を書いてほしいということだったので地図を書き、
その地図を見ながら、一行は階段を降り、
西側の地下の扉から出て行かれました。

開校間近な、京都東山開晴館。
東山区北部の小・中学校が統合され一緒になった小中一貫校。
その建て替え前の洛東中学校の敷地に、その石碑はありました。
工事中は見かけなくなりましたが、その間はどこかに保管されていて、
小中一貫校が完成したので、ちゃんとその敷地に戻されたのでした。

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 此附近平氏六波羅第
 此附近平氏六波羅第、石碑はどこへ
 石碑はなかった

posted by ひがせい at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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