2016年05月01日

寺田さんのダンス体験(S9)の、最終回

さて、これらのエピソードを含め、私がDPW体験から得たことは
数え上げればきりがありませんが、今、あえて1つ取り上げるならば、
「私が選ばなかった人との出会い」がもたらしたものと言えるかもしれません。
自分の作品を作る時、基本的にはダンサーからスタッフまで全て自分で選びます。
それぞれの人の技量や得意分野と作品世界のバランスを鑑みつつ、
より良い選択ができるように努めます。
一方DPWの場合、やはり作品は作りますが、そもそもダンサーを自分で選べない。
この2つは、明らかに性質の違うものなので、
ここで両者を比較するつもりはありませんが、
とにかく任意で選択したのではないダンサーとの作品制作という体験は、
その後の私の人生観に多大なる影響を及ぼしました。
人間誰しも、あらゆるモノや事柄に対して、
好き嫌いや得手不得手があると思います、様々なレベルで。
偶然の巡り合わせで出会ったダンサーたちと作品制作をするという仕事は、
例えばたまたま台所にあった食材を余すところなく使って
オリジナルレシピを考える、というような前向きな言い方も出来ますが、
一方で、もう少し踏み込んで互いのコアな部分と向き合う作業だとするなら、
「自分にとってどうしても相容れないモノと共存することを余儀なくされる」
というような、おぞましいことにもなりかねないのです。
基本的に私は、「他者を認める」とか「他者を受け入れる」とか、
あんまり簡単には言えないな、と思っていますが、それでも、
他者が圧倒的にそこに存在していることを知る、
ということは避けられない現実であるとも思っています。
DPWでの作品制作は、まさにそのことをまざまざと突き付けられる体験でした。
と同時に、他者を他者として認めたときに初めて見えてくる地平がある、
圧倒的な他者こそが自分の世界を切り拓いてくれるということを
切実に実感した体験でもありました。
実に巨大な宝です。

最後に…。
この一連のWSの始まりに、もし知名度も高く経験も豊かな
講師が人選されていたとしたら、全く違った結果がもたらされていたことと思います。
コンテンポラリーダンスという呼び名もごくごくマイナーであったあの時代に、
なんだかよく分からないジャンルのダンスにスポットを当て、
どこの馬の骨かも分からない我々に講師を任せるという、
極めてリスキーな采配を施した西田さんに、
改めて感謝するとともに畏敬の念を抱かざるを得ません。
担当者と講師と受講生が基本フラットな関係を維持しつつ、
暗闇で泥に塗れながら宝を探す、その体験が、
受講生のみならず我々講師にとっても、いかに多くの可能性を孕んでいたことか。
当時は未熟で気付かなかったことも、四半世紀近く経った今、
改めてしみじみと実感しているところです。

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