その1つ、ハイキングサークルには “わかくさ”
という名前が付けられていたようです。
(ちなみに、第一回目のハイキングの画像が残っていて、
47年の4月に “山科疎水方面” に出かけた、と注釈があります)
保管のアルバムに、ちょっと大きめの目立つ写真があり、
それは大勢で(数えると55人)山登りに行った時の記念写真で
写真の下部には、焼き付けの文字が書かれていて、
「東山青年の家、ハイキングサークル、わかくさ、
伊吹山夜行登山記念、48.7.28〜29」とあります。
(ホーム旗もしっかり携行されています)

伊吹山へはJRの近江長岡駅からバスで登山口まで行き、
そこから登り始めるのが一般的なようで、
頂上までは4時間もあれば着くということなので、
現在のバスの時刻表を調べてみると、最終が18時35分
近江長岡発、18時51分登山口着ですから、
“夜行登山”とあるので、この時の登山も、
おそらく、これぐらいの時間から登り始め、
午後11時頃には頂上に到着し、そこの山小屋で休憩(仮眠)し、
みんなでご来光を拝んだのではないかと想像されます。
ちなみに、写真やや左奥に、上に高く突き出た台座にある
胸像は、中山再次郎(大正3年に伊吹山スキー場を創設した
関西スキー界の功労者)で、三合目にあるそうです。
ということは、この写真は7月29日(日)の下山途中に
撮影されたものということになります。