9月6日に、火曜講座「舞台が語りかけてくるもの―「批評」とは?」(前編)が、
京都舞台芸術協会の主催で開催されました。
この講座は、2回シリーズで舞台の批評について考えようというもので、
前編にあたる今回は、去る3日と4日に行なわれた、演劇ビギナーズユニット修了公演
「見よ、飛行機の高く飛べるを」を観劇していただいた方々、12人にご参加いただき、
その観劇体験をもとに、舞台の批評について一緒に考えました。
講師には、京都造形芸大学助教授で、批評家の森山直人さんにお越しいただきました。
森山さんはまず、「批評というと、かた苦しい、理由のない悪口を言われそう、といった
悪役的イメージと結びついていることが多い。」、「批評を考える際に大切なことは、
舞台で起こっていることはすべてフィクションなのだから、そのフィクション(虚構→嘘)、
つまりウソをどう読み解くかがキーになる。」と話し始められました。
そして、「舞台を読み解くということは、ウソを読み解くことであり、
ウソとしてどうなのか、どういう設定、ロジックで、そのウソに説得力を持たせているか、
そして、ウソを通してしか表現できないもの、ウソだからこそ表現できるものを、
ことば(台詞)だけでなく、表現者の全体(全身)から感じる取ることが大切。」と話を進めて
行かれました。
その他のポイントとしては(これはプロデュース・演出サイドの問題だと思われるが)、
テキスト(戯曲)に対する考え方と空間(劇場)に対する考え方があり、
ごまさんの演出は、戯曲に忠実で、しかもコンパクトに仕上がっていてわかりやすく、
いい演出をされていた、と感想を述べられました。
続いて、「見よ、」のフィクション(ウソ)については、それを読み解くキーワードとして、
@1911年10月(脚本のト書きに、わざわざ時代を特定する記述があるということ、
また登場人物にも年齢が書かれていること)とA女子師範学校、Bストライキの
3つを挙げられ、以下のような、歴史的事実を付け加えて説明されました。
「見よ、」の1911年10月という、過去に実際に存在した時間・時代を調べてみると、
その前に、1908年「平塚らいてふの心中未遂事件」、1911年1月「大逆事件(幸徳秋水らの処刑)」、1911年9月に「青踏創刊」があり、「見よ、」の時代は、青踏創刊からまさに
1か月後の設定となっていること、また、この時代は、不況による労働争議、(社会)主義者の
動きも活発であったことなどから、この脚本は、歴史的事実を踏まえ、その時代の社会情勢を
細かく参照して作られていることがわかるということ、
そこで、果たしてそういう時代に、女子師範学校で本当にストライキが起こるだろうか
と考えてみること、それが、この「見よ、」のロジックでどう展開され、
フィクションとして成立しているのか、いないのか、そこが1つ、批評のポイントになる
と話されました。
2005年09月10日
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