先日、ちょうど一年ぶりに百済寺を訪ねました。
昨年のブログで、百済寺の紅葉とルイス・フロイスの関わりについて
いろいろと考えをめぐらせてはみたものの(「百済寺の紅葉」、「百済寺の紅葉(つづき」)、
展望台の石碑か何かに、確かにルイス・フロイスが
この地を訪れたという事実を裏付けるような証拠が
そこに書かれていたのではないか、
はっきりとした何か重要な事実を見落としていたのではないか、
という気がかりが、少しありました。
参道の石段一面に真っ赤なもみじの葉っぱが落ちていた昨年とは違い、
今年はほとんど落葉が見られず、黄色に色づいているというよりは
まだまだ緑っぽいもみじがたくさんありました。
今年は温暖化の影響で?夏が長く、紅葉が遅れているのか、
もうこのまま散ってしまうのかは、よくわかりません。
展望台とういのは、お寺の境内にある池泉回遊式
かつ鑑賞式の庭園にある「天下遠望台」と呼ばれる高台のことで、
そこへ上がると、湖東の平野が眼下に広がり、
西に比叡山、遠く琵琶湖の湖面も望むことができます。
そして、その展望台にあったのは
石碑ではなく(記憶違いのようです)、2つの案内板でした。
百済寺の沿革が書かれた案内板には
「百済寺の紅葉」の最後に、※注1で挙げた
『ルイス・フロイス書簡』の5月27日(元亀四年/1573年)と
おそらく同内容と思われる記述(若干訳が違う)しか発見できませんでした。
その案内板に書かれていた内容は、信長の百済寺焼き討ちにつなげる形で、
『宣教師ルイス・フロイスの書簡にも
「Facsangi(百済寺)と称する大学には、多数の相互に独立した僧院や座敷と
庭園・築山を備えた僧坊が立ち並びまさに地上の楽園が‥‥」
と惜しまれる様子が記録されております。』とあっただけで
新たな発見はありませんでした。
歴史的事実がどうであれ、百済寺の紅葉の美しさには変わりはありません。(N)
2007年11月30日
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