2005年09月20日

登り窯のこと

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昨日の外パフォでお世話になった藤平陶芸さんの「登り窯」。
社長の末広さんに直接伺ったお話しをまとめておきます。

まず、登り窯とは。
わが国でもっとも多用された窯の様式で、
長方形の窯室数個を、傾斜面に、手前が低く奥が高くなるように
並べて築いた窯のこと。燃料には薪を使用。
藤平さんの登り窯は、この窯室が9つあります。
そして、京式の登り窯は、この勾配が緩いのが特徴だそうです。

清水焼の産地は、大正期より五条坂のほかに、日吉・泉涌寺地区にも
広がり、最盛期の昭和36年(1961年)頃には、これらの地域全体で40〜50基の登り窯
があったそうですが、ほぼ原形を保って完全な形で残っているのは、
この藤平さんの登り窯と、河井寛次郎記念館にあるものだけだそうです。

登り窯には、傾斜の一番下の窯室横に炊き口があり、
空焚きをして水分を飛ばしてから、一番下の窯室の両側
(作品を窯に入れた入口を耐火煉瓦でふさぐ際、全部ふさいでしまわずに、
目の高さのところに穴を残しておくそうです)から薪を投げ入れ、
次々に、傾斜の上の隣の窯へと順番に薪を投げ入れ、登り窯全体に
火を入れていくのだそうです。
それぞれの窯室も底の数箇所の小さな隙間でつながっているので、
煙や炎、熱が傾斜の上の窯へと順に伝わって、9つめの窯室に
付いている煙突から、煙が外に出る仕組みになっているそうです。
ところが、この大量の煙が問題となり、昭和46年(1971年)の大気汚染防止条例の実施で
登り窯は使われなくなったということです。

登り窯に隣接して錦薪窯(きんまきがま)が残っています。
これもたいへん珍しいものだということで、
錦薪窯というのは、焼き物に施した上絵を焼き付けるための
仕上げ用の窯のことだそうです。
温度調整がしやすい電気窯の方が仕上がりが良いため、
錦薪窯の大半が約70年程前までに姿を消したということです。
その他、窯の周囲のあちこちに、当時のサヤ鉢やカマ道具が
たくさん残っています。

また戦時中には、この登り窯で、陶製の手榴弾(鉄が入手できない事情以外に、
協力な破壊力をもつ液体に鉄では腐食が早いという理由だったそうです)や
B-29(アメリカの爆撃機)を迎え撃つ迎撃戦闘機ロケット「秋水」号
燃料装置などを作っていたそうです。
その遺物がたくさん出てきた、ということです。

登り窯はたいへん貴重な歴史的・文化的遺産です。
しかし、登り窯のある広大な土地の固定資産税の支払いだけでもたいへんで、
後世に伝えていくのはたいへん困難な状況にあると、窮状を述べておられました。
そこで、この登り窯のことをもっと知ってもらうために見学者を受け入れたり
(京都観光の観光客や修学旅行の生徒さんの見学も多いそうです)、
窯の前のスペースを有料でお貸しして、イベントやコンサート会場
として使っていただくような活動をして、保存の財源確保に努めている、
というお話しでした。ホームページはこちら。(N)
posted by ひがせい at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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