2005年10月13日

劇団rim公演「獏」迫る

明かり作りが進む劇団rimの現場を覗いて、舞台装置と照明が
かもし出す雰囲気に驚き、思わずカメラを取りに。
何事かが起こりそうなこの仕上がりに、
照明で関わっている鈴江さんに、作品について訊いてみた。
「僕はいいと思いますけど。」
というわけで、鈴江俊郎さんに推薦文を書いていただきました。

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「ひとりのうた」
そのへんの一人芝居と一緒にしてはいけない。
一人で「しかできない」一人芝居と、
一人で「こそやりたい」一人芝居とは明確に違うのだ。
皆さんも見に来たらすぐ気づくはずだ。その歴然とした差に。
浦本君は私の劇団を半年前に退団した。
このままの安定にぬくぬくと守られてちゃいかん、と一念発起したのだ。
そして自分の劇団を結成。三十歳の背水の陣。
普通退団者とは別れた恋人の気分、絶縁してしまう私なのに、
照明担当に立候補した。
浦本君の熱さにほれているから舞台美術の製作でもなんでもやらせてくれよ、
と言うのに、彼は拒むのだ。
「一度、どこまで一人でやれるのか、試してみたいのです。」
だけど拒んでも拒んでも彼の周りには手伝いたい人が
群れをなして集まっている。うらやましい男だ。
芝居するってどんなことだろう。どうして自分は芝居をするのだろう。
一人での稽古は楽しくないはずだ。一人稽古場に行って三時間演技をしても、
誰もなにも意見をくれない。帰り道も一人だ。
見にこられた方は驚くような舞台美術。それを何十時間も広い作業場所で、一人。
彼のこの数ヶ月は、悶々とした雨と晴れの日々じゃなかったろうか。
青春の風景、ってこんなだったろう。私は自分の二十年前を思い出す。
作・演出・主演・舞台監督・舞台美術・音響プラン・
制作・小道具・衣装・宣伝美術……すべて浦本和典なのだ。
わずかに照明プランに鈴江が割り込ませてもらっているだけだ。
こんなにシンプルじゃない一人芝居を、こんなに手を抜かないで積み上げて。
なにがそこまで彼をつきあげているのか、なにが彼の迷いか、
苦しみか、孤独ってどういう味がするのか、……彼の書いた脚本には
そのニュアンスがほぼドキュメンタリー調で語られている。
もちろん虚構の物語の設定なのだが、もれ聞こえてくる放浪のこころは切ない。
通し稽古を見ながら、種田山頭火の俳句を思い出していた。

    ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

物乞いの旅の宿での風景だ。そしてこんなユーモラスなさみしい句も。

    月夜の水を猫が来て飲む私も飲もう

きっと私がその猫だ。懸命な演技とともに、渾身の照明も見に来てください。

                                         鈴江俊郎
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